「食の工夫・伝統の知恵」R3.11/5日20:00~20:45

「食の工夫・伝統の知恵」講話。R3.11/5日20:00~20:45 オンライン

食について。

昔、東京品川区で生まれ育った私は、ほとんど家に居ない活動的な生活で、食事は「口に入れば何でもいい。」と、食べることに関して全く無頓着でした。

腹が減ったら、サッサとインスタントやジャンクフードを口に詰め込んで、立ち話しながら移動しながら、あるいは何かをやりながら、できるだけ時間を無駄にしない。「スマートに!」それが、かっこいい都会のライフスタイルだと、当時は疑わなかったのでした。

時には、徹夜で活動し、暴飲暴食や反対に食べなかったりして、食事時間は大概不規則になっていた。今思うと、これで体を壊さないほうがおかしいと言うぐらい、効率化脳優先のめちゃくちゃな食生活や食への向き合い方です。

10代20代と、働きながら学校へ行っていた。なので、賃金を得るため効率よく働いて、欲しいものを手に入れる。人や物に振り回され、流行り追い、遊んでを繰り返す人生に大きな虚しさを感じてしまいました。

そんな時に、死ぬか生きるかの大きな交通事故に遭った。このまま、死んでいたらなんと虚しい人生だったでしょうか。3か月の入院と2年も続くリハビリ。仕事や学校と復帰したが、やりづらい身体と見え方が変わってしまった世界。この長い期間に散々と悩んだ末、機会を得て脱サラ出家することに決めたのです。

頭を剃り、出家して、天下の鬼僧堂と言われる岐阜伊深正眼寺に入門。古来より継承される本格的な仕来りを守る命がけの修行。

食との向き合い方に大変驚かされました。「一日作さざれば、一日食らわず。」と言う禅語がある。勤めを作さなかったものは、食になってくれた命をいただく資格がない。という戒め。

食べる前に、お経を上げて、食事について戒めを説いた「食事五観門」を唱える。

禅堂だけでなく食事や風呂も音を立ててはならない。一つずつ食器を扱う時にも注意し、沢庵を噛む音や、汁を飲み込むときの音も気をつけて静かに。一つ一つを丁寧に扱い、食材と一つになり深く味わうことになる。

命の糧。となる食を扱うのには細心の注意が必要だ。そのため僧堂では、いちばん修行が進んでいてできる者が、食事を作るという役になり、尊い命の糧になる食事を扱うことが許される。

私が典座に入ると、その深さに日々驚かされていました。

大きなくどで、毎日8升の米を焦がさず上手く炊く。そのために必要な木の切り出しから、薪割。食の加工技術も深い。かつて、いのちがけで、中国に禅を学びに行って、仏経典では無く、生命維持に必要な保存食の味噌醤油やお茶を学んできた。そして、日本人特有の文化にしていったのも臨済宗の禅坊主だ。

食材は、葉や皮や根っこ等、一切無駄にしない。漬物の沢庵やけんちん汁等は有名な話である。山野や近隣の畑を走り回り、食物を採り、素材を活かしてお膳に盛る、御馳走(ごちそう)という言葉の元となった。見えない裏方、走り回って苦労の上にある、有難い食事だからだ。

究極の修行と言える米炊き、それにまつわる薪割りや焦がさない為に、釜の一点に火力を当てず一気に沸騰させる薪の組み方、釜の中の米になりきる行。野菜が透明になる瞬間を逃さない、炊き方。シンプルかつ深みの極みである季節を生かした割烹。頻繁に続く行事によって変わるお供え膳の心。「食平等」が最重要事項として、全員に料理や菓子等を均等に分け合う徹底した配慮。

同じ釜で沸かした茶で心を一つにする「茶礼」。食という隠せない実践と技術の修行成果を、命の糧を分かち合う喜び。乞食行の食べ物版、茶や茶飯や野菜鉢。この季節に一年分漬ける、たくあん漬け、梅干し漬け、白菜漬けおせち料理作り、懐石料理の意味…などなど、この他にも書ききれないほど沢山の知恵と工夫を学んだ。

食について、学んだ事を楽しくお話させていただきます。

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