行きたくない ~どこから来て、どこに行くのか?~

毎年8月23日夕刻は、大禅寺地蔵盆祭りで、毎年地元の小学生に、紙芝居で命の授業しています。地獄絵も見せ、やってはいけない事を魂に刻ませ、親孝行や徳行を教えています。


そして子ども達に、各家の先祖を描いた灯籠も作らせています。月夜にそれを灯して、皆で太鼓を叩きながら、般若心経をあげて、三界万霊供養と精霊送りを行ないます。とても美しい光景です。


仏教は、はっきり答えを言わないし、わかりづらいかもしれません。解釈は試練と同じく、人により違うもので、それぞれの苦難の道を歩み、気づきと実感の導きの果てに、極みに到達するものです。だから、はっきりと言えないのでしょう。


釈迦の心。般若心経の実践。坐禅でともに魂を磨き、頑張って自身に向き合い、自分からの手で掴んだ、深く腹に落ちたものが、ホンモノ。それを大切に育ててほしいと、祈願しています。

坐禅で、腹式呼吸すると、気が満ち、五感が鋭くなる。思考や我欲から離れ、心を洗う。唯、在るだけありのままの自身に満ちると、自己承認欲求や執着が無くなり、大自由を得て、下記のことが自在に出来てくる。すると、関係性が変わって来る。まさに回向。内なる仏に導いていただけている事に気が付ける。運命を受け入れ、道理に合った行動を力強く歩んでいけるのだと感じています。

行いは巡り巡って自分にもどって来る「回向」だと、しみじみと思います。世間で騒がれているコロナウィルスや他人が良い悪いでなく「そういう性質のものであっただけ」という「0=無の思考」こそ、感情にふりまわされずに、与えられているこの状況下で、どんな風にお役に立たせていただけるか、試練を通じて魂を磨くべく導いてもらえる。生かされていることに感謝し行動したいものです。

                 記

慈 相手の幸せを願う心。自分が受けたら嬉しい有り難い無償の愛。
悲 相手の悲しいキズを深く理解して一緒に泣ける心。悲しみの分かち合いで辛さも苦しみも半減。
喜 相手の嬉しい気持ちを心から祝って、自ら嬉しくなる心。喜びも倍増。
捨 人や試練などに導いて頂き、貪瞋痴や見返り 期待 執着を捨てる機会や、命をいただき食べ、おかげさまで生かさせてもらっている。と我を捨て謙虚に感謝できる心。

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